2009年10月3日土曜日

速報レポ!The住み開きシンポジウムvol.2~津々浦々の住み開き事例レポート、そして青森の住み開きから近頃のホームパーティー事情まで!~

8月30日(日)は、南森町の「208」で住み開きシンポジウムvol.2が開催されました。「208」は住居用マンションを利用した、7人のクリエイターによって運営されているサロンスペースです。普段は運営メンバーのスタジオとして使われながら、様々なトークサロンやワークショップ等も開かれています。メンバー作のクスクス料理を皆で美味しく頂いた後は、「208」の主宰でもある美術家の岩淵拓郎さん、青森県で中心市街地活性化事業に関わっている八戸市役所の今川和佳子さんのお二人をゲストにお迎えして、それぞれ興味深いお話をいただきました。

 岩淵さんは「住み開きとしてのホームパーティー」について語ります。70年代以降の日本のホームパーティーは、奥さんがご主人の同僚をもてなすような、日本の伝統的「御呼ばれ」の形態が主流であり、「もてなす/もてなされる」という境界がはっきりしていましたが、逆に欧米ではその境界は曖昧で、飲食よりも会話が中心の場としてホームパーティーは機能しているようです。パーティーという言葉の定義は「社交」であり、本来ならコミュニケーションが行われるべきであるはず。芸や無礼講が前提になって非日常を創出する、日本の「宴会」とは違うということを強調されていました。また、「部屋が狭い場合には鍋パーティーといったように、それぞれの住環境に合った方法を選択することが大事」、「一人知らない人を呼ぶだけで、開いている感じが出てきて面白いかも」と、気軽に楽しくホームパーティーをするための提案もいただきました。ホームパーティーは、「コストをかけず、気軽にできる」「小さな公共が形成できる」など、人によって色々な形で捉えられており、それぞれのニーズに応えられるだけの懐の深さを持っています。そういう意味では、「住み開きとしてのホームパーティー」も行為というよりは一つの捉え方なのかもしれず、「住み開きという言葉はひとまず置いておいて、楽しくやることを第一に考えてほしい」とお話を締めくくられていました。

次に、今川さんに現在取り組まれている一連の活動についてお話いただきました。市民ホール、レジデンススペース、子育て広場、図書館、ギャラリー、カフェなどの多様な機能を持ち、「市内外に発信していく事で、まちににぎわいが生まれる」ことを目指して建設されている公共施設、hpm(八戸ポータルミュージアム)。その開館プレ事業であり、09年度のアサヒアートフェスティバルにも参加している空き商店街を活用したアートプロジェクト、「酔っ払いに愛を」の事例を紹介されました。まち歩きのシンボル「ヨコヲちゃん」に、仕事帰りにお父さんが買ってくるお土産用の「酔っ払いおじさんムース」。アーティストと共にまち歩きやワークショップに取り組み、飲み屋ばかりの通りに異質な要素が混入することで新たな魅力を引き出していこう、という試みです。今川さん本人が以前に住み開き的なことをされていたこともあり、大阪の「住み開きアートプロジェクト」には大変興味を魅かれていた様子で、今回の来阪時に「FLOAT」など、いくつかのスペースを見学できたそうです。八戸には既に住み開き的な活動をされている方もいれば、古くから残っている個人商店や旅館といった場を無料で貸してくれる方も多く、潜在的な拠点は豊富にあります。今後は、大阪の住み開きスペースから得たものを地域活性化に還元していければ、とお話されていました。

最後に、参加者を交えてフリートークを行いました。ここで「大阪で行われている住み開きが、八戸でも成立するのか?という、都会と地方の違いについての問題が大きな論点となりました。地方のコミュニティには地域の人が無断で家に上がってくるようなメンタリティが元来あり、都会よりも「住み開き」的感覚を持ち合わせているのではないかと思われます。しかし、それを「住み開き」という都会的でお洒落な文脈を持つ言葉で規定してしまう事で、逆に地元の人が拒否反応を起こしてしまう事も考えられるのではないか。内外から人を呼び、まちを盛り上げていくための仕掛けが都会からの借り物としか思えないものであったなら、それは抵抗感があって当然でしょう、と参加者側から重要な意見が出されました。
それを受けて、築港ARCチーフディレクター、アサダからは「住み開きという言葉を使い始めたために、障壁になっている部分があるかもしれない。言葉や定義に捉われすぎず、八戸に合った方法を試してもらえれば」という発言がありました。おそらく、八戸に適したアプローチをも生み出せるだけのレンジの広さが「住み開き」にはあると思いますが、それを実現させるためには、岩淵さんがおっしゃっていた「住み開きは一つの捉え方にすぎない」という視点を改めて認識することが必要なのでしょう。  

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