2009年10月6日火曜日

速報レポ!住み開きお散歩ライブ「22!の庭に、火が灯る?! 12人の住み開き討論会?!~お盆の12人編」

   8月14日(金)、お盆真っ直中の住み開きプログラムは、これまでと少し趣向を変えたものでした。ゲストは音楽ライブ等を行っているakamar22!さん。四天王寺界隈にお住まいです。
 今回のプログラムがこれまでと異なるのは、個別のアートプロジェクトの拠点を訪れるのではなく、アーティストが庭のように楽しんでいるまちを一緒に練り歩くという点にあります。朝田チーフディレクターが概要説明し、谷町筋を北に取り、学園坂を西へ下りていきました。
 出発して歩き始めて15分ほど経ったところで、突然街路樹に水をやっているakamar22!さんが私たちを迎えてくださいました。造花の着いた帽子をかぶり、象の形のじょうろを手にした姿に、一部の参加者は圧倒。「(お庭に)おじゃまします」と声をかけると、akamar22!さんからは「どうぞ」と返ってきました。
 じょうろの水がなくなると、akamar22!さんも私たちと一緒になって歩き始めました。その後は、口縄坂から谷町筋の方面に進路を取りました。すると、突然、akamar22!さんが即興で演奏を始めました。「数えて、数えなくとも階段を上る…」といったような具合に、自分たちが行っていることが、そのまま歌になって聞こえてくることに、これまた参加者は驚かされることとなったのです。
 谷町筋に出ると、通りの向こうの赤いビルから、なにやら手を振る方々がいらっしゃることに気づかされました。これはakamar22!さんが仕込んだことだったようで、ご近所のアーティスト仲間の皆さんが、お散歩をする私たちに、ビーチボールか何かで注意を引いてくださったのでした。
そうして、四天王寺の中に入っていきました。中之門から入っていくと、万灯供養を行っている期間ということも重なって、境内は多くの人でにぎわっており、独特の雰囲気を味わいながら散策しました。

 
 宝物殿の前の広場にたどり着いたとき、akamar22!さんはおもむろにギターを取り、私たちに座りましょうと呼びかけたのです。そう、ゲリラライブの開始です。「好きな人といつも歩く道は、いなくてもデート」など、四天王寺の界隈で暮らすなかでつくった歌を2曲披露してくださいました。私たちお散歩仲間以外の方々も、「いったい何が始まったのか」という具合に、akamar22!さんのライブに関心を向けていました。ちょうど、生け垣の向こうから庭先の風景を見つめているかのように思えました。

 ライブが終わると、30分間のフリータイムが設けられました。多くの方が万灯供養を見学されたようです。その後、東大門から出て、akamar22!さんのお宅に到着しました。
 先ほどまで歌っていたアーティストは、さしずめホームパーティーのホスト役に早変わり。おもむろに台所へと向かい、天ぷらの準備にかかられました。ですので、私たちはお宅におじゃましたお客さんとして、お客さんどうしの会話を楽しむことにいたしました。
 まずは何となく、参加者どうしで感想交流がなされました。集合場所となっていた地下鉄駅からakamar22!さんの家に到着するまでに過ごした時間を、それぞれに振り返り、他者に伝える時間となりました。一つの傾向としては、四天王寺というお寺が地域に開かれていることに意外な印象を覚えたようです。また、akamar22!さんの振る舞い方や日常生活に対する関心も、それぞれの表現で語られました。お寺の境内も自分の庭に見立ててみるという発想や、家に招く側がお客さんのためにずっと料理をしているといったことなどから、「住み開き」とは何かを考えていくヒントを得ていただいたのかもしれません。

 特に、まちの風景をどう感じるか、という点で、現代社会においてないがしろにされていることが多いのではないかと、積極的に議論が重ねられました。とりわけ、歩くスピードでまちを感じることや、立ち止まって季節を味わうといったことが失われているのではないか、といった意見には多くの人々が賛同をしていたように思えます。逆に言えば、効率性ばかりが優先され、功利的な個人主義が尊重されている社会においては、漠然と何かをするということに対して否定的な印象が重ねられがちなのかもしれません。つまり、現代社会においては、全ての出来事や物事には、強い意志と具体的な目的がなければならない、と捉えられているのではないか、ということです。
 全てに個人化され、効率が優先されるという側面は、人々の住まい方にも現れているのかもしれません。個人を重視するということと、個性が重視されるということは、実は大きく異なることではないか、というのを感じた方も多かったのではないでしょうか。それぞれの住まい方に対する価値観と、現代社会への違和感が語られた、そんな印象を抱いています。
 あわせて、過去の住み開きプログラムとの比較も、築港ARCの朝田チーフディレクターによって随所に重ねられました。特に、一週前に行われた、此花区でのまち歩き企画とは、積極的に対比がなされました。実際に足でまちを知っていくということ、さらにはそのまちに重ねられてきている歴史的な意味を紐解いていくことの大切さが取り扱われた、と言えるでしょう。


   こうして、感想の交流をしながらも、それぞれに問わず語りが進んでいきました。私たちに天ぷらを出し続けていただいたakamar22!さんも、いつしか、話の輪に入って、会話を楽しんでいました。先にも記したとおり、何をする、というわけでもなく、何の気なしに集まり、共に時間を過ごすということもまた、住み開きを考えていく上では素朴でありながら大切な視点だと感じた次第です。
 今回ご参加いただいた、本プロジェクトのスポンサーでもある、アサヒビール芸術文化財団の加藤種男さんの口からも出たとおりに、「あえて集まることがないということは、地域の暮らしが面白くなくなってきたのかもしれない」という点は、今回のプロジェクトが社会に対して投げかける痛烈な問題提起なのかもしれません。人が集って、そこにまちができます。しかし、そのまちで、なぜ互いに集まらないのか、という点は、人が住むということ、家に住むということ、その両方の表現のあいだにある違いに光を当て、現代社会の陰の部分を明らかにしていく手がかりとも言えるでしょう。
 一風変わったプログラムであったものの、家とまちのあいだに立って「住み開き」を考える、意義深い一日となりました。
 とりわけ、参加者の皆さんには、人々が行き交うまちを、五感で味わうことの大切さに向き合えたのではないでしょうか。同時に、住まいを開くということは、扉をこじ開けるような感覚ではなく、むしろ気軽にのれんをくぐるような感覚で捉えられるものではないか、そんな思いを抱きながら帰路につきました。(文:山口洋典、写真:石田峰洋)

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